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するするとおちてゆく [にちじょうさはんじぃ]

あれから何日たっただろう。
年が明けない意味がわかったのが10日
あれからもう気がつけば2週間以上たったのか。。。

突然、『明日からも生きてゆきます。』と言った中村一義の言葉がよぎり
いつものように大笑いして、涙がやっと止まったと思ったら
今あの日から
全て自分から落ち始めたんだと気がついた。
自分がやりたいと思うこと、進めていこうとしたこと全てが
なかったことになるんだなぁと。。。

そっか、自分は誰かに何かを伝えることが役割だったのだから
それがもう終わったんだ。
なにも想いたくなくなった。
芸術も美術もARTもなんだか自分に合わなくなり始めた。
音楽も止まってしまった。

どこまで落ちるかわからないので
一応連絡する人をわかるようにしておいた。

また夢で”行こう”と言われたら
最後までついていこう。
真っ暗闇をその首に書かれた文字を頼りに

誰がなんで幸せにならなきゃいけないのか? [にちじょうさはんじぃ]

ふと思い出して
なんで目くじら立ててみんな幸せになりたいと思うのだろうか?

まったくもって理解ができない。
そして、結婚することや子供を産むことが幸せとみんな言いたいように思う。
結婚も子供もいなくても幸せも感じなくても生活できるし
生きていられる。
辛いと思うこともないしできれば、このままでいたいのだが
時間的に(ヾノ・∀・`)ムリムリ。
一生働けない若くないと魅力がないと言われるように姥捨て山に捨てられる運命だろうが
デンデラのように復讐したりするのだろうか?
復讐はある意味愛があるように感じる。
だって、復習しようという心があるのだから。

復讐には、相手が自分を受け入れなかったということが前提にある。
うむ、じゃ復讐はできない。
自分が望む相手に自分を知ってもらおうとは思わない。
腹黒いから絶対に見て欲しくないし知って欲しくない。
それは、もう相手を必要としていないということなのだろうか?
でも、その相手のすべてを知りたいよ。
ケツの穴まで見たいよ(笑)。でも、その相手に自分を知ってもらおうなんて思えない。

他人を愛せる人は自己愛が強いナルシストだという話を聞いたが、
自分は自分を好きになれないから
人を好きになれないんだろうか?
でも、知りたい人はいるのにそれは好きにはならないのだろうか?

どぉ?どぉ? [にちじょうさはんじぃ]

ようやく年が明けたような昨日。

田村友一郎というとてつもなく面白い作家を知れてよかったなぁと心底思う。

その反面、ある種の違和感を覚える。
一応大卒と言っているが、高校が職業高校なもので中卒レベルの自分としては
劣等感が半端ない。

学歴社会も知っている。就職しなきゃいけないのもわかっていたが、社会の仕組みがイマイチというか
全然分かっていなかったし。そんな中、まぁ中途半端に生きてきて
接客業もやったし事務方もやったしでいろいろな世界が見たかったが
働く金額っていうものも厄介なことにわかってきた今となっては
もう8年も働いているのかとつぶやきたくなるわけで。
一体全体何がしたいのか?置き去りにしてしまって
もう手遅れである。
そんな中、自分ができなかったことをしているのが芸術・美術の中で活動している人たちである。
それは、自分の中のあこがれであるのに
そこに群がる人々の行動や態度に拒絶反応を起こすという、矛盾に苛まれるのである。
これは、当事者たちにはわからないのだろうなと思う。
きっと、のめりこめないのはそこなんだと、いつしか感じるようにまでなってきた。
自分の劣等感もそれに拍車をかけている。
誰かが誰かの夢を叶えているのに
それに甘んじて生ぬるい世界になっている。
一度違う世界で働いてみるといい。
自分たちの生ぬるさを俯瞰して見ればいい。
昔は、そんなこと思わなかったんだけど
いろんなことに着手し始めて見えてきたこの世界。
生ぬるく、澱んでいる。もしかすると、海外に出ることはいいことなのかもしれない。
違う、きっと生ぬるい世界をものともしない人は、自分が好きな作家なんだろう。
きっとその回りが悪い。環境が悪い。
自分ならきっとこうするだろうということが、なかなか相手に伝わらないし
どうしたらいいのかわからない。
それが、できる存在なのにその存在に甘んじているのだ。
だから、その人たちがわかる言語で話て周りを置き去りにする。
これが、一つ鑑賞者の特定をしているように思うのだ。
自分は、その鑑賞者であるが特定される鑑賞者でなく
一般的な鑑賞者である。
人は、確認するために展示を見に行くという話をどこかで聞いてなるほどと思った。
『日曜美術館』で放送された展示は大盛況だ。
それは、その番組を見た人が、確認しに行くからだという。
まっとりあえず入ってみるっていうことも大切だ。
確認しに行くのではなく、自分がどう感じるのか知りたい。
自分はそこから何を感じるんだろう。作家は何を望むのだろう。
他人の心を見れる、ある種作家はナルシストだ。
自己愛の塊だからこそ作品を世に出せる。
そんなことないみたいなこと言うけど、作品を出せる時点でそれは、自信と自己愛に溢れていると思った方がいい。
世の中は理不尽であり、いろいろなことに矛盾が生じている。
矛盾を生ぬるさと捉えてはダメだ。
矛盾は、わかりきったことでどうしても起こる。
それは、他人をしれない自分がいるからだ。でも生ぬるさは解決できる。
それに甘んじるな。
お前らは、自分ができなかったことをやっている。
そんなお前らを見るたびに殴りたくて仕方がない。
その衝動がそろそろ抑えきれなくなりそうだ。
ちょっと距離を置こうか


寂しいと悲しいの違いを漸く理解した [にちじょうさはんじぃ]

さてさてもう暮れも暮れで、
自分の干支が終わってしまうなんてと思う今日この頃。

寒さに耐えられるかなと、心配ながらも
なぜか未だに唯一の暖房器具ホットカーペットを出していない。

ふと、去年の今頃、中村正義展だったんだと思ったり、
今年の3月11日の自分の行動を冷静に判断したりと
なんら自分の手に残るものはないので
今年も何もなかったなと一言つぶやく。
よくよく考えてみるといろいろなことが自分を通り過ぎて起こっていたんだと感じる。
でもやはり通り過ぎたと表現するしかない。
何も残っていないのだから
記憶にはあるが手にはしていない。
そうすると今年もやはり何もなかったという締めくくりになる。

Shooting Star [にちじょうさはんじぃ]

とうとうここだけが
唯一むちゃくちゃなことを言ってもいい場所になってしまった。

うん、これは戻ってきたというわけですね。
なにせ小心者であるため
散々Twitterでいい男だ、いい男だと褒めちぎっていた相手が
フォロワーになったとたん発言自粛中(笑)

過去のtweetは見ないタイプだから大丈夫だと思うが
うかつであったぞ!
鍵かけるといろいろと面倒だったため
鍵オープンにしてたのがまずかった。
いや、retweetがまずかった。。。。あぁぁぁっぁぁぁっぁぁぁぁっぁぁぁぁ
どーしていつも後先考えない?(笑)
後悔先に立たずとは、見事な言葉である。
そう、後悔なんてしないと思っていたのに
最終的には、後悔しとるやんっ!
そして、感想書けと言われたけど
冗談しか書けず・・・・

ちなみになぜかあのはがき職人時代を思い出して
どうしてもウケを狙わねばと考えていしまう。
うむ、昔の癖とは恐ろしいものよ。

久しぶりにこむぞう聴くの再開しようかな?
いや、止めておこう。(笑)
過去より新しいものの方がいい。
まだ、見てないもの聞いてないものはあるのだから
すげーぇ年になっちまったがまだまだ
先は見えてないし
まだまだなんだってできるんだよ。


忙しいのかそれとも、老化か [にちじょうさはんじぃ]

とにかく眠い。
いやねむすぎる。

最近、ワークショップ養成講座で受けた内容と、
芸術や美術、ARTの関わりっていうのがリンクしだしているように思う。

特に宮島達男氏の話には共感する部分が大いにあり
自分の経験が活かせるんじゃないかと思う反面
それがどうしたら、うまく人に伝わるんだろうと考え始め
前に進めない状態である。

そう、なんだか養成講座修了だけでは説得力が内容に思い
認定講座うけようと考え始めた矢先に

名古屋・栄の駐輪場有料化・・・・
交通費の出ない自分にとってこれは痛手中の痛手!
税金払って家賃払ってこれじゃ生活保護受給者を増やすことしか考えてないんじゃないだろうか?
よくよく考えてくだされ、
ロスジェネ世代で失業率も高い世代。
下の世代は、失業率を下げるために色々な事されているのに
もうロスジェネ世代はお払い箱でなんの就業のためのメリットがなくなった。
つまり35歳を越えると就職も保証もされないってこと。
それは自分が悪いんだろうって言われるだろうけど
あたしゃそう簡単に自分が何者なのか理解できないよ。

はっきり言って人から好かれたこともないし
どちらかといえば、あんたいたっけって言われるほどの
存在感0人間だし
頭がいいわけでもなし
見た目も最悪である。。。
なんのとりえもない、
そしてなんでか金にならないことばかりしている。
人に与える影響力もないし
どちらかと言えば否定されることが多い。
人は何故違うことをしようとすると否定しだすのか?
違うことをするから人は面白い。
でも、いつまでも否定ばかりされると
人間腐っていくもので
人間力がだいぶ劣っていることは間違いない。

ただひたすら空気吸って吐き出して
物喰らって
寝て
仕事に行って金をもらって
それで物買って喰らうっていう
ループを永遠に繰り返す。
いや、息絶えるまで繰り返す。
ただ、それだけなのに。。。

どうやら自分が完璧主義者らしく
完璧でないと人が好きになってくれないと思っている
節がある。
だから、すぐに諦める。
そして、それを行動に移さないから
知らなかった気づかなかったと言われ
フラれる。
大体このパターン。
じっと影から見てたいだけで
言ったとしても
断れるなら
このまま年取らず
ずっと見てたいのに
それじゃ何もならない
生活保護受給者になりかねない。
自由になることは金が必要。
低所得者としては
どーにもこーにもならない世界。
はぁDeathClockにあと9年後の11月24日までと入力しておいた。
あと9年で死ぬなら
またいっちょフラれましょうか?

両手いっぱいの言葉 [にちじょうさはんじぃ]

草の笛吹くを切なく聞いており告白以前の愛とは何ぞ 『十五才』 寺山修司

そうだよなぁ・・・告白も何もしてないのに何でいつもダメだと思うのだろうか?
なんでこうも自分に自信が持てないのか?
ほんとは話したいのに
何で自分はダメと思うのだろう。
このこころは偽りなのだろうか?

頭部の骨を作るのが一番テンション上がったって言ってたのを思い出すし
珍しく低い声の人を好きになるし
あののど仏を押してみたいと思うし
ケツを蹴り上げてみたいと思うし
もっと話を聞きたいと思うし
そうあの声でもっと話してほしいと思う。
もっと知りたいし
もっと会話らしい会話をしたい。
問答なようなそんな感じがしたい。
あの声で震える鼓膜が恋をしたのかもしれない。
それを自分で止めたんだな。
そう、止めてしまった。
自分が止めてしまった。
この自信のなさが止めてしまった。
想像だけでは何も始まらない。
そして何も終わらない。

恋はするものじゃなくて落ちるものなのです。 [にちじょうさはんじぃ]

はぁ~はぁ~はぁ~

もう話せないんだなぁと感じると切なくなる。
とうとうそんな日が来たんだと。。。
バカな質問ばかりしたなぁ~
最後も質問の途中だったし・・・

なんでこんな日にいっぱいやることがあったんだろう。
最後、美術館を出るところを見ていたら
この人は、自分とは住んでいる世界が違うんだと思った。

”鳥は魚を愛さない。”

ghost ship [にちじょうさはんじぃ]

最近ボランティアと仕事で疲れが取れないなぁと
思っていたけど
仕事が嫌なんだなぁと、気づいた。

今日特別展のギャラリートークをして気づいたのだ。
やっていて楽しいし、知らない人たちと作品を見ながら話している自分が
どう考えても疲れているとは考えにくい。
どちらかというと、疲れがその時点ではとれたように感じた。

作品を見ることは苦痛を与えていない。

今名古屋市美術館のポジション2012名古屋発現代美術-この場所から見る世界-の
ボランティアによるギャラリートークに参加している。
通常は、常設展のギャラリートークをしているのだが、
ボランティア歴が2年経つと特別展のギャラリートークにも参加できる。
自分は、今年度の特別展のギャラリートークを今回のポジション展で希望を出した。
まだ出品作家も知らない中どうして選んだんだろうと思うが、
やっていて面白い。
特に今は、出品作家の一人山田純嗣さんの教え子たちがやってくるのだ。
ちょうど、ギャラリートークが始まる時間帯にエントランスにある作品『NIRVANA』のところにいるのだ。
話しかけると、『先生です。』どこかで聞いたフレーズ。。。
昨日、ちょっと作家たちの資料を読み返していたとき
自分が目先のことばかり気になっていたんじゃないだろうかとはたと気づいたのだ。
ボランティアは会期が始まる前に事前に企画した学芸員から概要説明を受け
さらに作品が展示されたころにまた会場説明を受けるのだが、
ちゃんとそこだけで止まっていればよかったのに
作家たちと話す機会ができたため
それがブレてしまったのだ。
そのことに読み返した資料で気づかされ
この言葉に自分は、この作家は面白いと思ったことを思い出したのだ。
それは2階の出口付近にある佐藤貢さんの作品だ。
その言葉はまだ仕上がっていないカタログに記載されている。
学芸員が作家を紹介している文章に登場する。
その言葉が佐藤貢さんの作品を見るときに重要になるのではないだろうか。
ポジション展初日にアーティストによるギャラリートークで話していた佐藤貢さんは
ほんとにおもしろくて笑いを誘うのがお上手でしたが、
その面白さで、この言葉を忘れていたのが残念で仕方ない。
だから、今日のギャラリートークで最後にこの佐藤貢さんの言葉だけを言って終わりにした。
あの女子高生たちにこの言葉は響いただろうか?

ほんと偶然というかなんというか作家さんたちと話す機会が多くて
特に山田純嗣さんには作品の前で説明してもらったりと
なんとも贅沢なことしてもらっているのだが
作品はどうできているのかということばかりで
なぜ『世界に触れる』について聞かなかったのか
目先ばかりで本質がつけない自分がやっぱふがいない。


閃光少女 [にちじょうさはんじぃ]

はぁ久しぶりにブログ書いている。
なんでかなぁ~
日記を書きたいと思ったのは?

作家を囲む会っていうのがどうやら美術館の協力会に入ると参加できるのだが
協力会員は同伴者を二人連れて行けるらしい。
うんで、
今やっているポジション2012の作家を囲む会に連れてってもらった、ぐふふ。
同世代の作家とアダグジより10コ・・・もしや一回り違う作家と話す機会、ぐふふ。

でも、人見知ラーのアダグジなので結局一人の作家しか話せずじまい。
しかーも、かなり失礼なことばかり聞いたなぁ(笑)
それよりなにより、アダグジは出品作家と話しいていたのだが
お隣さんは、ポジション2012のポスターやチケットのデザインを担当された方と話していて
作品についてとかデザインについてとか話しているのかと思いきや
独身なの、一人暮らしなの、自炊してるの等々
根掘り葉掘り聞いているのだ。
それがおかしくっておかしくって
確かにアダグジのお隣さんは聞き上手!
思わずアダグジが話していた出品作家も独身だったので、自炊しているんですか?
って作品に全然関係ない話ししてもうたやないのっ。

作品について聞いたらすんげぇ宗教とかなんか学生時代の西洋美術史とか
抽象概論だったかなぁ~西洋史、日本美術史できいたことあるような
うん年前なもんで記憶が・・・・を話て頂いき
作品の見え方が変わってきた。
いや~聞いてよかったのかどうなのか、でも面白かった
38歳で独身って聞いてあぁ~あっちだなと
思わず聞いちゃったり
それでも答えてくれるところが、面白い。
たぶんねぇこれねぇ~38歳だからだと思うんだよねぇ~
うちのねえーちゃんと同い年なんだよ。
それにアダグジの友達と同い年。
この年の人ってちょっと変わった人多くない?
アダグジはこう見えてもものすごい真面目なんで・・・プププ
涅槃とか浄土庭園とか仏教用語が出てくるのと
髪型が丸刈りなんで
お坊さん?ってもう一人一緒に話していた人と突っ込んだり
相当ないじられかたされてたと思うけどプププ
まっこんな機会も滅多にないし
それにもう二度と話せないかもしれないしと
考えたら
その時楽しければいいような・・・
ボランティアによるギャラリートークでは使えないネタばかりであるが・・・
楽しかったのでよしとしましょう。
で、あたしゃてっきり貧乏なんだろうなぁ~って感じで見ていたら
次の日ギャラリートークの当番だったので
作品の前にいた
女の子に話かけたら

「わたしの先生なんです」

なんだかだまされた!
しかーも、言い換えれば


「高校教師」


えええーっなんかエロい!(笑)



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